19年間ありがとうございました! 後編(長いですよ)
前回のブログが何気に好評で良かったです。もうすぐサイト見れなくなるのでBLOGをブックマークにでもしといて下さい。また、最後に投稿する予定です。
前回はネット時代から店舗出す頃までを書きました。続きです。
倉庫の片付けしていたら初期の頃のTシャツの版が出てきたので載せておきます。勿論、製版機などもっていないので、自作です。枠作って、生地をはって、ビニールを張り付けて巨大な版をDIYしやたつ。張ったビニールをプリントデザインにカットして、抜きを作るなんとも言い難い製法です。笑
載せたは良いけどローテクすぎて、恥ずかしいですね。ファミコンのベースボールのソフト位ローテクですね・・・
これも自作の巨大な版。シルク貼って、ビニール貼り付けスタイルのボーダー柄用。この版は色々使いましたね。
さてさて、お店を出して、順風満帆に見えましたが、開店3か月で経営のピンチがやって来ます。開店して直ぐは話題性もあって来客も多く、よっしゃ~~~!って感じで浮かれていたUK EXTRAですが、3か月位経った頃にはめちゃくちゃ暇になります。当初の見込みの売り上げには届かず、見込みと言っても、これ位は売れるやろ~~と、謎の自信からの感覚的な売り上げ予想で、その浅はかな予想をはるかに下回っておりました。開店して3~4か月、季節はもう梅雨~夏です。
梅雨~夏にかけてクッソ暑い時期に革ジャン、ロングブーツの売れ行きは落ちるし、開店してにぎわったお陰で、良い古着の在庫も少なく、先を見越して買い付けに行ってなかった仇がここでドカン!とやって来ます。この頃は家でビールを飲むお金もなく、頭が痛くなる焼酎を我慢して飲んでいました。今思うと、これが一番のピンチでした。正直、どうやって乗り切ったのか覚えていないです。ただ、1年目の夏の大ピンチを食らったお陰で、この先の夏の切り抜け方を考えて、乗り越えれるようになりました。
この後、古着以外でUK EXTRAの大きな目玉となっていくのがオリジナルの制作と、バンドのマーチャンダイジングです。一番最初に声をかけてやらせてもらったのがISTERISMOのTシャツでした。
当時7インチをリリースしたISTERISMOは、その7インチが即完売で、飛ぶ鳥を落とす勢いと言う事もあり、リリースしたTシャツはかなり好評でした。これをきっかけにHARDCORE SURVIVES SO君(てか、SO君はお店やる前からのペンパルでした。笑 メールもそこそこだった時代に、文通していた古い腐れ縁です)、そして人間堂の平山君、BREAK THE RECORDS のアンドリューなどのレーベルのみんなとも数珠つなぎに交流が出来て、お店もバンド方面でにぎわってきました。ちなみに、僕が縁あってISRTERISMOのドラムでヘルプのGIGをさせて貰ったのが2009年です。懐かしいですね~。ピスクライスト、CASUALITIES,AVSKUMのライブをやらせてもらって、忘れられない体験をさせて貰いました。
この頃、スコットランドのSEDITIONがバンドはやっていませんでしたが、T-シャツなんかのマーチャンをちょくちょく出していました。この時期は怖い物無しの僕等なので、うちのお店でSEDITIONの新しいTシャツを売りたい!そして、なんならデザインさせてほしい!と思い、SEDITIONのディストリビューションをやっていた、MCRの弓削さんにアタックします。どこぞのだれか分からない奴にはそんな仕事はやらせて貰えないから、その当時SEDITIONが出していたTシャツを輸入して、まずは信頼してもらえ!と、弓削さんにアドバイスをもらい、そのTシャツを輸入して売りました。販売実績を作った後もMCRに間を取り持って頂いて、交渉を続けた結果、日本での販売とデザインする権利をゲットしました!
MCRの偉大な(ここはよいしょしまくる)営業力で、入ってきたオーダーは500枚を超えていました。この当時、僕の住んでいたアパートの半分を倉庫にしていたので、Tシャツを刷る時は在庫のある部屋では無く、僕の居住スペースで床に置いて刷っていました。そんな生産能力では、とてもじゃなくこの枚数に対応出来る訳も無いのに、『自分でプリントさせてほしい』とお願いしてしまいます。無謀でした。Tシャツを刷る前は必ず、自分の部屋の、陰の毛の掃除をするのが日課でした。
ISTERSIMOのTをきっかけに、SEDITION,SCATHA,MOB 47,CHAOS UK,ENT,ANTI SECT等憧れの海外のバンドのグッズのお手伝いをさせて貰う事が出来て、本当にラッキーでした。一生の宝物です。話をくれたレーベルのみんなには、本当に感謝ですね。
日本のバンドもROUGH STUFF,INTRUDERS,RAW DISTRACTIONS,BLACK AND WHITE,ATFなど、UK EXTAR名義でTシャツをリリースさせてもらいました。その他にもプリントの依頼で沢山のバンドのマーチャンダイジングの手伝いもさせて貰いました。
そしてバンド関係のマーチャンダイジングと、もう一つお店の主力となるのが、オリジナルのリリースです。店舗を持つ前からリリースしていた黒スリ以外にも作り始めます。特に初期の頃に好評だったのが、細身のアーミーシャツや、シルクスクリーンのオリジナルTシャツ、そしてUK EXTRAの代名詞となったモヘアニットのリリースです。確か2012年だったと思います。
古着中心のUK EXTRAから、オリジナルアイテムのデザイン、製作が主流になる、大きなきっかけとなりました。これは本当に大ヒット商品でした。
モヘアを一番最初にリリースした頃の価格が16,800円位で販売していたので、10年で倍以上値段が上がってしまいましたね。
そして、その後、イギリスからワックスコットンの生地の輸入に取り組みます。この頃はまだ、今のようにBarbourのブームが来る前で、個人でWAX生地を輸入している所はほぼ無かったので、ワックス生地を輸入してワックスジャケットを作れば必ずヒットすると確信していました。誰もやっていない事をやると、インパクト大きいですからね。あまり細かい事を書くとすごく長くなるので端折りますが、輸入にはかなり手こずりました。かなり高い壁でしたが、何とか輸入する事に成功します。しかしながら、このべたべたの生地を縫製してくれる工場が全くありませんでした。当時はワックス生地は工場も扱ったことが無く、生地のスワッチを色々工場に送っては、断られての連続でした。ミシンも、作業台も汚れるワックス生地をどこの工場もやりたがらないのは、まぁ当たり前ですよね。
それでも、あきらめずに色んな工場にアタックして、ようやくワックス生地を縫製してくれる工場を見つけます。
そして、ようやく作ったのがフード付きのワックスジャケットです。
高円寺のシベリア地区でやっている古着屋が、イギリスからワックス生地を輸入して、ワックスジャケットを作れたのは、自分らでも驚きでしたね。
発売後、即完売して調子に乗った僕らは、ここから一気にオリジナルへと大きく舵を切ります。服飾やデザイン系の学校を出たことも無く、古着屋で働いた事もない2人はここまでやれるようになりました。
偉そうに・・・・笑。
そんなオリジナル作りに切磋琢磨していた出店9年目の2017年、お店の物件を立て壊すと大家さんから驚きの通告がありました。建て直し後にもう1度お店が出来るようにするって事になったので、泣く泣く初期のUK EXTRAの物件から出て行きます。
懐かしの初期~中期のお店の写真はこんな感じ
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